栄養士ってなんなんだ

5歳で料理デビュー。14歳で栄養士になることを決める→専門卒栄養士。社会人6年目にして現在、4か所の職場/栄養士ってなんなんだ。/細胞レベルで食がすき /料理/映画/本

食について考えたことまとめ part1~食べること~

猛暑が続きますね。千葉もあつぅございます(;0;)

千葉からゆりぎょーちはがんばって更新していきます。今回は猛暑とおなじくらい熱く書いていこうと思います 笑

 

 

人が生きていくのに、「衣・食・住」が大切だという。その3つのなかであたしは「食」に惹かれて「食」が好きで「食」を仕事にしたい。その「食」について考えたことをテーマに分けてまとめています。あらゆる方向から食を見つめて、「食」っておもしろい!「食」でこんなことができるんじゃないか?とか食の力について考えを共有できたら最高です!

 

 

 

食について考えたこと part1~食べること~

  なぜこんなにも美味しいもの食べることが好きなのか。食べることが好きな人はたくさんいますが、なんで食べるのが好きなのか考えることはあんまりないんじゃないか。あたしはなんで食べるのか。生命維持とかの件は無しで考える。

 

食べることは当たり前なのに仕事にもなってることがすごいんだから。

 

1、家族で食べること

 食事の基礎は家庭でつくられる。どんなテーブルで、どんなお箸で、どんなお皿で食事をして育ったのか。テレビを見ながら。家族で1日を振り返りながら。ただボーっと壁や外をみつめながら食べていたのか。ひとそれぞれ、家庭それぞれある。

 

あたしの家庭の夜ご飯は、たいてい6時30分。ごはんの合図は、お母さんの「ごはんだよー」か、少し切キレ気味の父の「ご飯だぞ。」(父は待たされるのが嫌い。時間が決まってんだから呼ばずとも来い。スタイルなのだ)兄弟3人、部屋から出てきていつもと同じ、決まった席に座る。1人1人決まった箸とお茶碗。取り皿ひとり1枚。メインのおかずが真ん中に大皿で。その他のおかずも一皿で2~3種類あるときもあった。みそ汁は鍋ごとテーブルの隅に置いてあって各自取り分ける。ご飯のお釜は炊飯器に入っていて、ご飯も各自食べる分だけ取り分ける。

 

多少のルールとしては、なぜか父のご飯は最初に盛らないといけなくて亭主関白のつもりだったのか、その意味も理解せずとりあえず先に盛っておけば文句は言われないからやっていた。(そうしないとお母さんが怒る)

 

食べるときは、テレビはダメで、ほぼ会話はしない。もくもく食べるのが多くて、話しても兄弟のじゃれあいか、お母さんから箸のマナーのお𠮟りをうけるかだった。それでも、ご飯への不満はどんな時もなくて、なんでも美味しかったし、いろんなものを食べさせてもらえたし、飽きることはなかった。

 

たまにテレビで家族で食事する場面をみたりすると、みんなでテレビを見ながらご飯たべていたり、きっちり給食のように一人分ずつお皿が分けられていたり、コタツ囲んで食べてる家族がいたり。自分の家とのちがいを見つけてはうらやしかったり、理解出来なかったり。家庭によってあらゆることがちがうのは面白い。

 

また、家庭で食べる食事は自分専用があると、存在の確認ができる。自分の箸があること、自分のお茶碗があること、自分のコップがあること。恋人家に自分の歯ブラシを恋人のとなりに置くようになって喜びを感じたりするように、自分専用が家にあることでいつでもそのお家に存在し、自分の分身のようにおもえた。

 

割り箸で毎日食べるとしたら、その家にいないような気がする。実家を離れて、たまに帰って来た時、当然のように自分の箸が置いてあったのは嬉しかったし安心することができた。あたしは食を通して自分や家族、大切な人の存在確認を毎日している。

 

 

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2、食事の時間を一緒に楽しむこと

 ひとりで食べるより、誰かと一緒の方が食事は良い。社会問題化する「孤食」にもあるように誰かと食べることの重要性も納得できる。けど、ただ同じテーブルにいれば孤食じゃなくなり、食事が楽しくなり心が豊かになるのか。それは全くの意味をなさない。

 

あたしの家では家族揃ってはいるもののカタチだけで、「一緒に食事の時間を共有し楽しんでいるか」と考えると違った。あたしは家族との食事を楽しいと感じたことはなかった。たぶん、食べることは空腹を満たすため美味しいものを食べてお腹を膨らませるものと思っていたんだと思う。そう気づいたのは親友の家に招かれてそうめんをみんなで食べたときでした。

 

親友の家にはよく遊びに行っていて、第2の家族のように過ごしてました。親友の家は面白いことにあたしはの家と正反対で、お父さんが冗談言って、お母さんが笑いながら呆れた顔して、親友が破天荒わちゃわちゃ自由人。そんな親友の家でのごはんは笑いが止まらないかった。まず、ボールに水をはって入ってるそうめんを親友が「流しそうめんだ~」とか言いながらグルグルかき回す。え~!?って圧倒されながら「わ~~っ」っと流しそうめん気分でめんをすくってみる。全然つかめない。笑 あたしの家でめんグルグルしたら普通に注意される。のに親友のお父さんも一緒に参戦して「おりゃ!」とかいいながらズバズバ食べて。そんな光景をみながらお母さんが呆れた顔しながら笑ってる。

 

食べながら「おいしいね~」「おいしいね~」の言い合いして、食べ終わったら「おいしかったね~」「おいしかったね~」と言い合って。「楽しかったね」って最後に親友に言われたとき、食事って楽しめることなんだ。と気付きました。楽しむ食事を体験をしてから食事の時は会話の時間でもあるし、誰かと共有する時間になっています。

 

はじめて誰かにお会いして話をするときも、コーヒー1杯あるのと、ないのでは話す内容もかわってくるし、あなたとコーヒーを飲む時間を共有できた方が関係が濃くなるし、話しやすいと感じます。話をするだけだとなんだか面接みたいになってソワソワしちゃいます。

 

いまだったら、BBQがめちゃくちゃ好きで、あれほど大人数で一緒に食事を楽しめる食べ方はない!と思ってます。お肉が焼けてるのを見てテンションあがって、出来たてをほおばって、笑いあって仲良くなれる。数年前まで知らなかったBBQの楽しさ。コミュニケーションを大事にする人がBBQをする意味も納得できます。究極の食事を一緒にたのしむ方法に間違いない

 

 

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3、じぶんになること 

  食べたものでひとはできていて、たべたものからからだがつくられる。

 

漫画、鋼の錬金術師のなかで人間をつくるのに必要な化学物質を暗唱するシーンがある。想像より少ない種類でできていてすごく驚いた。小さな1つの細胞からはじまって、細胞があつまってからだができる。その後、なにを食べて生きていくかで変化する。

 

 

 

面白いといつもおもう。考えすぎると気がめいりそうになるけど、自分が細胞のあつまりで、いきいきしたり、疲れたり、ときに病気をしたり。たべたもので変わっていく不思議さとたのしさ。考えないでいられなくなる。

 

あたしは、病気になることがとっても怖くて、病気にならなための食事を知りたい。毎日、何気なく食べていたらもしかしたら病気になってしまうなら、なんとしてでも食事を変えて健康でいたい。

 

と同時に、ひとが「美味しい」というものも絶対に食べたくなる。生きてるうちに世界一美味しい何かに出会いたい。もしかしたら昨日まで嫌いだったものが世界一美味しいものになるかもしれない。だとしたら食べるしかない。 

 

 たくさんの「食べ物」があるいまの時代。楽しむために食べるのと、健康のために食べることがだんだん離れていかなように、美味しいものを食べるのも好きで、健康でもいたい。自分がしあわせを感じれるバランスを常に探しながらこれからも「食」をたべてたべてたべまっくて生きていたい。

 

 

これからも無限に考える

あ~~~あしたは、なにたべよう~~~!!

食べるの視点から考えるのは無限に出てくるから追記追記でどんどんまとまっていくともっと楽しくなるかな!いろんな考えインプットしてアップデートしていきます!

 

 

 

おわり